Xsumidaの日記

写真と旅行が好きな大学生のブログです。日々の出来事を綴っていきます。

20210416—【雑感】大判カメラの話と写真の今

考えたことの垂れ流し(ただしチェック済み)なので、いつにも増して文脈がめちゃくちゃです。あと長い。 

  

大判カメラで撮っていると、よく声を掛けられます。見るからに普通じゃないもんね。おまけに変な布(冠布)を被り出すし。

昔のカメラね、とか、フィルムで撮るんですか?とか。

最近知らない人と会話する機会が減っているのもあって、まあ悪い気はしないです。珍しい質問としては、今のところ「ガラスに写すんですか?」と「ファインダーを覗かせて下さい」がランクインしています。

 

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前者は乾板/湿板写真の印象が強い方だったのかな。セルロイドの発明は偉大ですね。透明で曲げられる素材というのは、それまでなかったわけですから。そのおかけでフィルムを”巻く”という新しい考えが生まれ、カメラは飛躍的な発展を遂げました。まあ、セルロイドには燃えやすいという致命的な弱点があったわけなんだけどさ。

現在でも"曲げられる画面"が実用段階に入ってますし、ちょっと似てる気がします。画面という言葉を使って、敢えて液晶とかパネルって言わないのはお察しください。技術関連の報道は用語が滅茶苦茶。

後者の方は良く分からないです。どんな構図なのか興味があったのでしょうか。でも上下左右が反転していることを伝え忘れたままお見せしたので、あんまり分かってもらえなかった可能性が高そう。構図見せてって、気を悪くされる確率の方が高いと思うんだけど、誰かに聞いてみなさいって教えられたのかなあ。

 

そうそう、写真学校の生徒さんですか、というのも良く訊かれます。違いますよ、と毎回答えますが、世間的にはそういう印象なんだね。勝手にカテゴライズしたがるのはちょっとうんざり。写真学校生って、もうデジタルオンリーな気がするのは私だけかな。身近にいないから分かんないけど。

原理的なところに立ち返ると、やはりこういうカメラに行きつくのは間違いないと思ってます。大判カメラに触れアオリを使った描写を知ると、それ以外のカメラが不自由に見えてきてしまうというか、レンズと撮像面の位置関係を縛る、ある種のドグマを感じるようになります。当たり前は当たり前ではないのです。

まあ当然なんですが、仕組みを説明してもあんまり理解してもらえません。蛇腹の操作をズーミングと間違えられたり(あながち間違ってもいないけど)、なぜか露光時間が分単位になってたり。そういうときは少し寂しい。東大生に見せたらすぐ看破してたよ(笑)。

 

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写真界隈の潮流として、ハードよりもソフトの方を重視する流れがある(ずっと前から?)感覚があります。撮れるタイミングで撮って編集で勝負、みたいな。誰でもいい写真が”撮れる”ようになったのは喜ばしいことですが、真の凄さを見抜ける人はどれくらいいるのだろう。

天の川を合成した写真を場所を偽って投稿し、炎上しているのを見かけたことがあります。ある人は素晴らしい写真ですね、というコメントを残し、ある人はこれは合成じゃないか、と言っていました。

無邪気に楽しむなら前者でしょう。知らない方がいいこととはよく言ったものです。

写真を右から左へ消費するだけならそれでもいいのかもしれないけど、その写真には物語がないんですよ。ただ綺麗なだけで、何も訴えかけてこない。首をひねるような写真って言えばいいのかしら。まあ、諸々の条件を整えておかなければならない苦労もわかるけどさ。お仕事おつかれさまです。

そしてそういう写真が溢れています。知っている人は見抜けますが、見抜けない人の方が多いんだろうな。広角レンズを使えば遠近感を強調できるし、望遠レンズを使えば圧縮効果を生み出すことができます。前者は大きさの比較を誤らせるために、後者は状況の把握を鈍らせるためによく使われていますね。同じこと言ってる?

ライティングにもすべて意図があります。編集で顔も体型も如何様にもなります。知れば知るほど広告が嫌いになりますが、すべて見抜いたうえで笑い飛ばせばいいというのが、私の考えです。広告は、生理的に嫌い/好きな要素を入れる、いたたまれなくなるようなタブーな話を始める、などなど、注意を引くための工夫に溢れています。彼らは購買欲を煽るプロだよなあ。おっと話が逸れましたかね。

 

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技術の革新は新たな表現を可能にしますが、同時に写真を縛るものでもあります。既存のカメラ、既存のソフトウェアでしか写真は撮れない、そういうことです。写真を撮る道具そのものから、あるいは写真そのものから抜けだすのが、真に革新的な写真家なのかもしれませんね。新しくセンサーからの信号を解析する(“画”を作る)アルゴリズムを作ってみたり、新しく乳剤を開発してみたらどうですか。そんなことを考えてみる。古い方に突き抜けるのもアリですね。所詮差異化っていうとまた嫌になってきたな。ピクチャースタイルを自分で追い込むとかは割と楽ちんにできますかね。それぐらいはみんなやってるか。

 

写真の発明から200年。デジタル化から30年が経とうとしています。何度もその場所に足を運び全てを熟知した人しか知らない世界が、簡単に作れてしまうようになった今、本当の写真というものを伝え広げることがいかに大変か。モヤモヤしたものを抱えながら写真を撮ってます。気にしなければいい、そういう考えもあるんだけど、このまま行くとまずいなという危機感がずっと強くあるんだな。閉鎖的なコミュニティに未来はないからね。

 

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