Xsumidaの日記

写真と旅行が好きな大学生のブログです。日々の出来事を綴っていきます。

20220227

展示のために半切を焼いた。プリント自体久々だ。

 

角をぶつけないようにするのはもちろんのこと、無理な力がかからないように気を付けて。

これくらいの大きさになってくると、不用意に紙を持ち上げると折れてしまうからね。

小さい紙のときの何倍も気を遣う。

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去年の梅

以前にやり方を試行錯誤した結果を覚えていたから、悩まずサクサク進められた点は、ひとつ成長したのかなぁ。紙が大きいと勝手が違いすぎる。

 

展示の告知をこのブログでしたものかと悩み中。

最近は大学サークルの写真展をよく訪問しています。趣味半分、仕事半分で。

 

20220214

久々に編集ページを開いたら、かなり前の下書きがあったので投稿しておきました。公開したつもりで下書き保存していたようで。反省。

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八重洲

春休みに入ってからというもの、ブログのことは常に頭にちらついていたんだけれども、他に色々やることがあってここまでずれ込んできてしまった。

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笹川流れ(の付近)

実際そこまで時間が無かったか?と言われると微妙なところで、やる気と体調次第といわれてしまえばそうだったのかもしれないし、効率の悪いループに嵌まっていたような気もするし。

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大手町

写真は相変わらず。新しい挑戦も始めているし、春休みに入って随分撮った。また紹介できればいいんだけどね。

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糺の森

二足どころか三足ぐらいのわらじを履こうとしているものだから、空中分解の危険は常にある。終わって自分に何か残るような、春休みにしたいね。

 

投稿したつもりでしていなかったもの(20220107ー新年きたる。)

遅くなってしまいましたが、新年明けましておめでとうございます。本年も本ブログをどうぞよろしくお願いします。

同時にこのブログも一周年を迎えております。公私ともに多忙を極めてますが、どうにかしてこのブログは続けたいと思ってます。

投稿間隔を維持するため、しばらく短め投稿(文字少なめ、写真1~2枚)で回していきますよ。気が向いたら長文も書くかもしれない。


もともとブログを始めた動機は、短文・中文では伝えきれない内容を発信するため、ゆえに思うところはあるんだけども。

書く上で気を付けているのは、煽るのではなく、ひたすら冷静にということ。事実とその背景を簡潔に語り、根拠とともに思想を述べる。論理と構造を追い求めて。これが文章と呼ぶべき物の最小単位。

私の文章に冷たい印象を抱いたなら、それは正解だと思います。日ごろ情動に振り回されている人にとっては、退屈かもしれません。

自分の思考を人に伝わる(であろう)形で文字に起こすのは、言葉選びから何からそれなりに手間がかかるけれど、自分の先入観に気づく良い機会でもあるなと。
言葉によるコミュニケーションは幻想にすぎないとわかっていても、すがってしまうんだなあ。


気づいたら案外書いてた。この辺にしときます。はてなスターのバグが治りません…

20211230—今年あと2日(20211214―今年もあと2週間ちょっと)

これを書いてから2週間以上経過。このまま年を越すとまずいので、写真付けてないけど投稿しちゃいます。変な<>は無視してくだされ。

 

やばいよやばいよ。気づいたら50日近く経ってる。

忙しすぎて更新する暇がありませんでした。ハイ。放置している間にもアクセスしていただいているようで、ありがとうございます。購読している分もこれから読みますぜ。

 

耳鳴りで眠れないなんて生まれて初めての経験をするなど。まだ若いはずなんだが?

ようやく持ち直してきたので(嘘)書こうと思います。まだまだタスク山積みです。しかもさらに仕事増やすらしいし(これは自業自得)。時間をひねり出すためにGoogle カレンダー始めました。だいぶ前の話ですが。

 

そうそう、前回の記事が公式に取り上げられてました。

Twitterスクショ>

記事のリンクはこっち。

xsumida.hatenablog.com

Twitterでは速報を出したような気がするものの、それ以上何かすることはできず。運営の裏事情はさておき、取り上げてもらえるのは嬉しいですね。

普段この記事(↑)のような煽った文体にならないよう、注意して文章を構成しているんですが、意図的に書いてみました。たまにはこういうのもアリかな。かなり読んでいただいてありがとうございます。友人に絶賛されました(笑)

 

<1417の紙はこれになった>

 

忙しくても写真撮ってないわけじゃないんですが、人の写真を撮ることが増えたので、うかつに紹介するわけにもいかず。10月-11月で10本は撮ってるかな。

<最近の写真>

自分用の写真といえば、奥多摩に紅葉を撮りに行ったような気がするけど、写真どこ行ったかな…そんな具合。写真用PCを起動すること自体が週1とかになったからね、仕方ないね。

Flickr再開か、個人HP開設は本当にやりたい。時間無いとか言ってらんないです。のうのうとしていたら学生生活が終わりを迎えてしまいます。自分より忙しい方がもっとスゴいことやってるのに自分が諦めてどうする。これからもっと忙しくなるんだしさ。

 

<画像>

 

カメラ・レンズは相変わらず出たり入ったり。

1台と1本が出て、1台入って1本交換して2本入って…かな。自分でもあまりよくわからなくなってきてる。

中判と大判で少しずつ買い足せば(大判の135mmと中判の50mm, 135mm)、必要な分の確保は終わりかな。自分の表現を実現するために要るなら入手すればいいし、使わなくなったら手放せばいい。そういう思考でやってます。

 

<期限切れフィルム>

 

大判は全然持ち出せてないなぁ。レンズボードが擦れる部分(ボードを下で受ける部分は金属だけど、左右は木製)がだんだん削れてくるのが怖い。丁寧に脱着するようにはしてるけど、当ててしまうこともあるしさ。

金属製のフィールドカメラを買い足した方が精神的に安定するので使い方を考え中。これ半年ぐらい言ってる気がするね。それぐらいのユルい感覚で使うカメラだと思うよ。

ホルダーはちょこちょこ買い足してるので、大判持って旅に出たいなあなんて。サブでGRが欲しくなるじゃないか…Rollei35が修理不能判定を食らったので萎えてます。

 

水温が下がってきているのでしっかり保温して、アンダー傾向に注意ですね。今週は現像できるといいな。

<現像液買い足し>

 

 

ニコンFMを譲った話

このあいだ、ニコンFMを後輩に譲った。今回はそのお話。

 

ずっと一桁Fを使ってみたかった。ので、今年の夏頃だったか、手頃なF2黒アイレベルを見つけて購入した。

するとFMはサブとしての性格が強くなって、フィルムは入っているものの、あまり手に取ることがなくなってきた。

もとより、やりくりの関係から、FMとF2は入れ替えにするつもりだったし、今入ってるフィルムが終わったら売却するか、と思っていた。FMも人気が出てきた頃合いかもしれない、少し高めにしても売れるだろう。だが気がかりになることがあった。

 

実はこのFMと50mmをセットで購入したお店はもうない。激安と言っていい値段だったが、露出計含めちゃんと動いているし、私の酷使によく耐え、結果を残してくれた。手元に残しておけるものなら残したい、そんな気持ちが燻っていた。なんといっても、私が初めて買ったフィルム一眼だからね。

ほんとうはこのお店で、F一桁機にステップアップするつもりだったのだ。だがその夢も叶わなくなってしまった。その面でも、やりきれない思いが残っていた。

 

そんな矢先に、このカメラを買った店員さんと再会する機会に恵まれた。もうお会いすることはないと思っていたが、全くの偶然で再びお話しすることができた。

綺麗に使ってくれてありがとう、と。その方は私のFMを見てそんなことをおっしゃった。

こんなことを言われてしまってはもう売れない。売れないのだけど、売るしかない。じゃあ目の届くところに置いておけばいいじゃない、と閃いた。

お店で売却しても、ネットオークションで売却しても、愛機が誰の手元へ渡ったかはわからない。ちゃんと使ってもらえるかわからないし、もしかしたら転売屋の元に流れてしまったかもしれない、などと考えると寒気がする。

知り合いに(有償で)譲り、そのカメラの行く末を見届ける、これはとてもいい考えに思えた。

しかもFMは入門用にちょうどいいカメラだ。軽くて露出計も入ってる、問題なく使えてきたから動作は折り紙付きだ、安心して譲れる。

 

かくして、期待の新人があらわれた。彼はこれからフィルムカメラを始めてみたいのだと言う。

適当に50mmを付け、フィルムを入れて渡した。36枚撮ったら持ってきてと言って。彼は飲み込みが早い。1週間も経たずに撮り切ってきた。

現像からプリントまで全て教えた。デジタル写真とは違う手順に戸惑いながらも、彼は楽しそうだった。またひとり、アナログフォトグラファーを生み出せた。

彼とFMが紡ぐ写真に、限りない幸せがあらんことを。

 

 

30分ぐらいでパパッと書いたんだけど綺麗に起承転結でびっくりしたって話。なお書いてから推敲・公開まで3週間ぐらいかかってる模様。

写真付けてから公開しようと思ったけどお蔵入りしそうなのでもう出しちゃう。そのうち付けるかもしれんけど。なんとか生きてはいますよ。うん。

20210920—ひとやすみ

今日は一日のんびり過ごしました。

このところ新学期やら写真展の準備やらで忙しく立ち回っていたので、ここらで一旦落ち着こうかと。

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自分が書いたメモや連絡の履歴をたどりつつ、机と頭の中を整理して、放置していたものを呼び戻す作業。じっくりやると一日仕事です。

これは足踏みしているのではありません。「前に進む日」がしばらく続いたあとは、「前に進むための日」を設ける必要があると思っています。

私はそれぞれ「行為部分」と「意思部分」と呼んでます。何かをするときには、まず計画を立ててそれを実行するという手順を踏みますが、それを切り分けてみました。

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しばらく作業に没頭したら、顔をふと上げて周りを見る。今日はそんな日。

何かに集中していると、視野が狭くなります。少し前に考えていたこともすぐ忘れてしまうので、どこかで思い出してあげないといけません。何かに意識を割きながら予定を決められるほど器用ではないのでね…

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のんびり過ごしたとは書きましたが、この思考の整理整頓はかなり頭が疲れます。疲れました。少し前まで考えていたことを頭から追い出しつつ、次から次へと物事を思い出から引っ張り出し、これはどうやったらできるだろう、どれぐらい優先順位が高いかな、などと考える必要があるので。

忙しいときはかえって暇に感じるものです。段取りがすべて立っていますから、あとは実行するだけ。思考はあまりしていません。イレギュラーが起こったときや、先の見えない作業、作業そのものの計画を立てているときの方が疲れます。

 

ひととおり予定が立ったので、また走り出すことにします。日記らしい日記は久々に書いたかも。

今回の写真は28mmで撮った雲を3連発。ベースが厚いフィルムって久々に触りました。

 

最近思うこと—からっぽなあなたとわたし

自分だけが感じてるのかなーって思ってたけど、周囲に話してみたら意外に共通理解が得られているようなので公開してみる。かなり前に書いた文章なので、時系列は適宜読み替えてください。

 

 

大学というものに入り、これまで知らなかったタイプの人間を見るようになった。

相手をリスペクトしない、初手罵倒から入る、あらゆる話題を茶化し、自分の意見を被せる。自分の意見をはぐらかし、相手の意見を受け止めない。そういう人。

彼らとの会話からは何も生まれない。というか、こちらからしても真面目に対応されていないのが分かるので、相応のどうでもいい対応を返すことになる。縁をつないでおく意味すらない。折角出会えたのに互いに不幸な結果、残念だとは言っておこうか。

 

そういうタイプの人間とは、会話のキャッチボールが成り立たない。笑顔で話しているその仮面の下にはどんな感情が隠れているのか。あるいは何も隠れていないのか。分かり合える気は今のところしない。それともこの先社会に出るならば、こういう無駄な会話の技術を磨かなければならないの?答えが見つからない。

人と話すのが仕事にもなってるからコミュニケーションについて色々考えるんだけど、本当にわからないんだよね。こっちのペースを崩されたくないから、深入りしないことに、今はしている。

 

もちろん、話が通じる人もいる。そういう人とは「安心して」付き合える。お互いにリスペクトしながら、高め合っていく。そういう関係性が築けるのが理想なのだけど。

 

まあこちらとしても、観察と推測から帰結を計算し立ち回ることに、冷めた視点から物事を見ることに慣れすぎているから、人のことは言えないのかもしれないけどさ。

(身内以外の)ほかの人の感情とかもはや分からないし。周囲の状況を入力すると、最適な立ち居振る舞いを出力してくれるブラックボックス。それが感情?のようなもの。そういう認識で生きてきてしまっているから。下手に期待することもしない。悲観することもしない。共感もどきはするが同情はしない。そういうスタンスで動いている。

 

よく「君が怒ったのを見たことがない」と言われるけど、怒るほど心が動かないんだよ。コイツが本気で怒ったら相手から静かに離れ関係を断つだろう、と言った友人は私という人間をよく分かっている。自分で言うのもおかしいけど、もっと優しい、気遣いのできる人間だったはずなんだけどな。嫌なことを経験しすぎてしまった?

 

思考はするけど感情は?って感じ。体の生理的反応を正しく解釈し、思考に組み込みたい。それができればもっと能率上がりそうだし。無意識を制御下に置くことはできなくても、カラダの反応を窺うことならできるよね?私には難しいなあ。好き嫌いの前にいろいろ考えてしまう。猫を被って感じたことを抑えてしまっているんだろうけども、直情で動ける人がうらやましいよ。自分がいま生理的にどんな反応をしているのかを、正しく理解して言語化することができたら、もっと自分に素直になれたりして、ね。

 

身内なら大丈夫、でも交友関係はどんどん広がっていく。胸襟をひらけ、いつか大先輩から言われた言葉を実践できるのはいつになるやら。自分の中のこともわからないのに、外のことも分からなくなってしまったよ。

 

 

この記事を友人に先行公開したら滅茶苦茶心配されました。私は元気ですよ。
当時書いた思考を整理するためのメモをまとめたものです。

前半は、中身のない大学生への警句と、そんな人々に振り回されて自分の立ち位置が分からなくなってしまった人への道しるべとして。後半は随分前にちょろっと書いた身体論っぽい話。

 

どうしよう適切なタグがわからん

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